ミャンマー概要
基礎データ

| 面積: | 67.7万平キロ(日本の約1.8倍)。 | 
| 人口: | 約5,148万人。 ※2015年5月入国管理・人口省公表数字。 ※うち労働人口、約3,150万人。 | 
| 首都: | ネイピィドー。 ※2005年11月ヤンゴンから移転。 | 
| 言語: | 公用語はミャンマー語。 ※但し英語も利用可能。 | 
| 民族: | ビルマ族(約65%)、その他約135民族が存在。 | 
| 宗教: | 仏教(約90%)、キリスト教・イスラム教。 ヒンドゥー教・その他。 | 
| 識字率: | 成人約 93% 5歳児約 96.5%(2004年)。 | 
| 在留邦人: | 約617人。 ※2005年6月現在。 | 
| 海岸線: | 約2,800キロ。 | 
| 国境線: | 約5,858キロ。 インド・バングラデシュ・タイ。 中国・ラオス5ヶ国。 | 
 その他については下記URLを参照
  ジェトロ http://www.jetro.go.jp/world/asia/mm/
  日本アセアンセンター http://www.asean.or.jp/ja/asean/know/country/myanmar
  外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/myanmar/index.html
略史
| 1044年: | チベット方面から移動して来たビルマ族、 モン族等諸部族の割拠を経てアノーヤーター王がバガン王朝を設立。 | 
| 1287年: | モンゴルの侵略。 | 
| 1550年: | タウングー王朝(第2次ミャンマー王朝)がミャンマー全土を統一。 | 
| 1752年: | コンバウン王朝設立。(第3次ミャンマー王朝) | 
| 1885年: | インドを支配する英国と衝突。 第1〜3次英緬戦争。 1886年英領インドに編入。 | 
| 1943年: | 日本軍の援助によりビルマ独立。(バーモウ内閣)(8月1日) 1945年3月27日、アウンサン率いるAFPFLが抗日蜂起。 | 
| 1945年: | 日本の敗戦により再度イギリス領植民地。 | 
| 1947年: | 独立の英雄アウンサン将軍以下閣僚数人が閣議中に暗殺。(7月19日) | 
| 1948年: | ビルマ連邦共和国としてイギリスから独立(1月4日)。 議会制民主主義と大統領制を採用。(国連加盟) | 
| 1962年: | 少数民族と宗教問題による国内混乱のためネーウィン国軍司令官が、 クーデターによって政権掌握。 経済の民族化(Burmanistation)を主要内容とする、 ビルマ式社会主義政策の発表。 | 
| 1988年: | 学生による反政府活動活発化、国内騒乱状態のため ソー・マウン国軍司令官が、クーデターによって全権掌握。 (国家法秩序回復評議会・SLORC体制-9月) | 
| 1989年: | ビルマ式社会主義を放棄。 国名を「ミャンマー連邦」に変更。 国家防衛法違反によりスーチー女史自宅軟禁。(7月) | 
| 1990年: | 複数政党による総選挙実施。 ※憲法制定のための国民会議メンバー選定を目的とするもので、 その憲法が存在していないとの理由により政権移譲せず、 総選挙の約1年前に発表していた措置。(5月) | 
| 1993年: | 新憲法制定のための国民会議を招集。 ※これまで全15章のうち6章については審議終了。 少数民族の自治権につき十分な根回しが 済んでいないとして96年3月より休会。 ※2004年5月再開〜2007年12月終了。 | 
| 1995年: | スーチー女史自宅軟禁解除。(7月) ※その後再度軟禁、2002年5月完全解放。 | 
| 1997年: | ASEAN加盟。(ラオスと2ヶ国同時加盟)(7月23日) 内閣改造。(90年の総選挙以来初の内閣人事異動)(12月) | 
| 2003年: | タンシュエ議長以下政権幹部が中国公式訪問(1月) スーチー3度目の自宅軟禁。(5月30日)以後、今日まで継続中。 キンニュン第一書記が首相に就任。 民主化へのロード・マップを発表。(8月30日) | 
| 2004年: | キンニュン首相突然の更迭。(10月18日) ソーウィン第一書記が新首相就任。 タンシュエ議長インド公式訪問。(10月) ※24年ぶりのミャンマー首脳公式訪問。 | 
| 2007年: | 僧侶を中心とするデモ発生。(9月下旬) ソーウィン首相逝去。(10月) | 
| 2008年: | サイクロンNargisにより死者・行方不明者が10万人を超える。 (5月2日と3日) 新憲法に対する国民投票実施90%を超える圧倒的多数で承認。 (5月10日と24日) 2010年総選挙予定。 新ASEAN憲章を批准。(7月21日) | 
| 2009年: | 11月、キャンベル国務次官補等訪緬。 ※米国高官としては14年ぶり。 制裁一辺倒から対話路線並存に変更。 |