コラム

中井の仏像

 かつて新宿区中井に多くのミャンマー人が住んでいたことがあり、リトル・ヤンゴンとか、リトル・ビルマなどと呼ばれていたことがある。川沿いにあるアパー トの2階と3階の部屋がミャンマーのテラワーダー仏教のお寺として使われており、3階はミャンマーから来日した僧侶の住居になっていた。僧侶は自分で料理はしないし、お昼12時を過ぎれば食事はできないので、誰が料理その他のお世話をしているのだろうかと思って尋ねたが、「みんなでお世話している」というのが答えだった。その「みんな」というのは誰で、どうやっているのか聞きたかったけど、話が複雑な方向へいきそうだったのでやめた。

2 階への階段入り口と1階入り口は別になっており、かなり勾配がきつかったように記憶している。3階へは2階から入れるようになっていて、初めてそこを訪問したときは冬だったせいか、少し太り気味の日焼けしたお坊さんが厚めの靴下を履いて、頭には毛糸の帽子をかぶって横たわっていた。ミャンマーではこういう姿を見かけることはまずない。日本の冬はいくら僧侶でも寒い。
 2階が法話やお経などを唱えたり、訪れる熱心な信者の相談に乗ったり、世間話や愚痴などを言い合っている場所のように見えた。
 ススさんがここに仏像を寄付したいと言い出して、ヤンゴンから3週間ほどかけて貨物船で東京港に貨物が着いた。船会社からシンガポールで貨物がひとつ行方不明になったという連絡があり、「仏像が来日を拒否したかもしれない」(スス談)と心配したが、ブロンズ製のピカピカに磨かれた仏像はちゃんと到着していた。台座を入れると2mあり、重量も230kほどの見事なものが中井のポンジーチャウン(お寺)2階におさまり、その日は僧侶も喜んで2階の仏像の前で就寝したと聞いた。
 このままではまだ神聖なブッダ像ではないらしく、入魂式または開眼式のようなアネガザーと呼ばれる儀式が執り行われ、その日は3人の僧侶がいたが、ミャンマー人たちも自分の家にある小さな仏像を台座に並べたりして儀式を見守っていた。ここでは水が重要な意味をもっているように見えた。その後、なぜか中井のポンジーチャウンを訪れる機会が少なくなり、いつの間にか仏像もどこにあるかわからなくなってしまった。

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